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閑話休題

【閑】死との向き合い方

人は還暦を過ぎると、そろそろ死というものが視野に入ってくるらしい。最近ふと気が付くと、死ぬ瞬間のことを考えていたりする。子供のころは死が怖くて仕方なかった。といっても自分の死ではなく、父親、母親の死。父親が宇宙人に宇宙の彼方に連れ去られる夢を何度も見た。夜中に飛び起きてパジャマが寝汗でびっしょり、なんてことが度々あった。ただ不思議なことに、自分が死ぬなんてことは想像すらしなかった。

大学3年生のとき、オートバイ事故で生死の間を彷徨った。小型トラックと正面衝突して、肺血胸と左大腿骨の複雑骨折という大ケガで3ヶ月間入院した。担当の医者からは、「拾った命、大事にしろよ」と言われた。しかし、一度三途の川のほとりへ行った人間は、死への恐怖が薄らぐようだ。それからの私は、冬山や岩登り、流れの激しい海でのダイビングなど、死と隣り合わせのスポーツに惹かれるようになった。幸いにして、今のところ命に危険が及ぶような事態には至っていない。

アラ還の現在、死は着実にこの身に迫っている。ただ、意外に心は穏やかだ。なぜなら、私には認知症という強い味方がいるから。今年90歳の母親は要介護2級の認知症だが、彼女に死の恐怖を感じる神経はもはやない。ある意味、最強である。そして、その血を引く私も、おそらく同じ道を辿るだろう。