お酒の席などでマウントを取らないと気の済まない人、いますよね。特に、男性。これは生存競争を勝ち抜くための動物の本能なのかもしれませんが、こと人間社会においては、マウントを取ることが他者との競争において有利に働くのか、私は疑問に思っています。今回は、株式投資家の目から見た、マウント取りの功罪について考えてみます。
私たちが「この人すごい!」と他人を評価する場合、私は2通りのケースがあると思っています。ひとつは、100mを9秒台で走ったり、甲子園に出場したり、東大の理Ⅲに合格するような人のケース。つまり、自分では到底かなわない、圧倒的な才能を持っているスーパーマン(ウーマン)のケースです。そして、もうひとつは一般人のケースで、事前に自分が認識していたよりも、その人の実際の能力が高いケースです。
2番目のケースですが、例えばこんな感じです。最近あなたの職場に後輩社員が転勤してきたとします。あなたは彼のことを良く知りません。彼は歓迎会の席で下ネタで一人盛り上がり、その後酔い潰れてしまいました。その姿に呆れたあなたは、彼のことを「イケテナイ奴」と認識しました。ところが、翌日、彼は飛び込み営業で大口の契約を取ってきたのです。ビギナーズラックといえばそれまでですが、あなたは「結構やるじゃん」と驚き、彼を「そこそこイケテル奴」と評価し直したのです。ここでのポイントは、あなたは彼を絶対的な能力の高さから評価したわけではなく、現実と認識のギャップ(=現実-認識)、つまり相対的な能力の高さによって評価している点です。
同じようなことは株式投資の世界でもあります。株式の短期的な評価は、企業業績に関する投資家の事前予想と実際の決算のギャップ(実際の決算-投資家の決算予想)に依存します。最高益をたたき出した企業の株価が、決算発表の当日に急落する姿は今や日常茶飯事です。この場合、当該企業の株価に事前に織り込まれた決算の予想が高水準過ぎて、実際の決算がそのレベルに達しなかったことが原因だったりします。日本企業が決算発表で次年度決算を保守的に予測するのも、投資家が織り込む決算予想のハードルを下げたいがためです。
一般人がマウントを取るのは、自分の評価(=現実-認識)を引き上げることが目的だと思われます。しかし、実際はマウントの効果で先に(他人の自分に対する)認識が上がってしまい、結果、現実と認識のギャップが小さく(場合によってマイナスに)なって、自分の評価を下げることになります。(※) まさに皮肉としか言いようがありません。
(※)現実-認識↑=評価↓
【閑】マウントを取ることの愚かしさ
