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【年】年金改革の背後で蠢く国の悪企み

日経新聞は、10月3日の朝刊で「大企業健保1300億円赤字、11年ぶり 高齢者医療が重荷」と題し、「主に大企業の従業員と家族らが入る健康保険組合の2023年度収支が約1300億円の赤字になったことが分かった。高齢者医療への拠出金の増加が響き、赤字幅は12年度依頼、11年ぶりの大きさとなった。」と報じました。高齢者医療への拠出金とは、”後期高齢者支援金”といって、75歳以上の高齢者を対象とした後期高齢者医療制度の財源のうち、健保が負担する部分のことを指します。患者の窓口での自己負担を除く財源の内訳は、公費(税金)5割、後期高齢者支援金4割、後期高齢者の保険料1割、となっていますが、高齢化の進展によって健保の後期高齢者支援金の負担が、危機的状況に膨れ上がっているという話です。

今や健保(健康保険)の財政は限界まで逼迫しており、財政の健全化が喫緊の課題となっています。健保の赤字を削減するには、通常、3通りの方法が考えられます。まず、後期高齢者の病院窓口での自己負担割合を引上げることです。現在、原則1割の自己負担ですが、一般所得者等のうち一定以上の所得がある人は2割、現役並み所得者は3割と、既に自己負担の引上げは一部で実施済です。これを更に一般所得者全体に拡大するのは相当な困難が伴います。次に、健康保険の保険料を引上げることです。これも、実は過去から実施してきた経緯があり(協会健保では、2003年:8.2%→2010年:9.34%→2011年:9.50%→2012年:10.00%)、これ以上の引上げは困難な状況です。そして、最後は給付の削減。つまり、保険適用の対象となる医療行為や治療薬の範囲を縮小することです。しかし、これも「金のために人の命を削るのか?」といった国民の批判が予想され、実現に向けた政治的ハードルは極めて高いです。このように、健保財政の健全化は八方塞がりな状況です。

前置きが長くなりましたが、国は年金改革の背後で密かに健保財政の健全化を図ろうとしているようです。2024年10月1日より、社会保険(厚生年金と健康保険)の適用が拡大されました。従来、従業員数101人以上の企業では、正社員だけでなく、一定の要件を満たす短時間労働者(パートやアルバイト)についても、社会保険の加入が義務となっていました。それが今回、従業員数51人~100人の企業についても、一定の短時間労働者の社会保険の加入が義務化されたわけです。これにより、配偶者の扶養の範囲内で働いていた短時間労働者も年金が2階建てとなり、年金が増額されて生涯受取れるようになりました。(厚生労働省「社会保険適用拡大ガイドブック」) めでたし、めでたし。しかし、話はこれで終わりません。

私は上記ガイドブックについて、国は本来書くべき内容を意図的に隠しているのではないか、との疑念を持っています。ガイドブックでは、新たに社会保険の適用となる方について、年金の保険料(=コスト)が増える点については軽く触れるだけで、年金額(=リターン)が増える点をしきりに強調しています。でも、まあこれは良しとしましょう。問題は、今回の年金改革で、健康保険の保険料も増える点です。なぜかガイドブックはほとんど言及していません。(ガイドブックP2にわざとらしく小さな文字で短い説明がありますが。)代わりにガイドブックでは、傷病手当金や出産手当金といった給付(リターン)の充実を強調しています。でも、これらは年金と違って、誰もが受取れるものではありません。傷病手当金は病気やケガで、出産手当金は出産で一定期間働けないことが条件です。これらの条件に該当しない場合は受取ることはできず、保険料は完全な払い損です。また、保険料の3分の1は後期高齢者医療へ仕送りされ、消えてなくなります。このように、掛け捨ての保険料が増える話ですから、本来(掛け捨てでない)年金の保険料以上に丁寧な説明があってしかるべきですが、国は十分な説明をしていません。だから、私は国は敢えて説明を避けているのでは、と疑っているわけです。

それからもうひとつ、問題点があります。現在、配偶者の健保に加入している短時間労働者が、新たに自身のパート先の健保に転入することで、給付内容が悪化する恐れがあることです。配偶者の健保に付加給付の制度がある場合で、パート先健保にはないケースが該当します。付加給付は大手企業の健保等が実施する、高額療養費の上乗せ制度です。3割の自己負担部分の一部を高額療養費で払戻しを受け、さらに2万円を超える自己負担部分の払戻しを受けることができます。パート先健保に転入することで、この給付を受けられなくなる可能性があります。保険料が上がって給付内容が悪化したのでは話になりません。こんな重要な情報が、ガイドブックには一切記載がありません。(下記は某企業健保HPの付加給付に関する説明です)

このような健康保険の現状を、国民の多くは認識していません。政治家や厚労省のお役人が、国民に向けて説明することもありません。今回新たに社会保険の適用対象となった短時間労働者は、知らないうちに健康保険の保険料を負担させられ、知らないところで健保財政の健全化に協力させられるわけです。私はこういったやり方は、ほんと良くないと思います。国民の理解が不十分なまま、社会保険料を打ち出の小槌のように使うのは、もういい加減やめてほしい。そして、年金や医療の政策は国会の場できちんと議論し、国民周知のうえで進めていただきたい。

年金はマクロ経済スライドの導入により、(まがいなりにも)破綻の可能性はなくなりました。今、本当に危機的なのは、医療(健康保険)と介護です。年金についてはiDeCoやNISAといった自助努力の制度を国が用意してくれていますが、医療・介護の分野ではそういった取り組みもありません。最終的には、医療・介護版マクロ経済スライド(自動的な給付切り下げ制度)が導入されるかもしれませんが、そうなった先には、米国のような自力救済の世界が待っています。
まだ、遅くありません。皆さんには民間の医療・介護保険等も利用しながら、前広に自助努力を進められることを強くお薦めします。

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株式

【株】GDP世界1位は幸せか?

世界各国の経済力を比較するときに、一人当たりGDPという指標がよく使われます。これは、その国のGDPを人口で割った数字で、その国に住む人々の平均的な豊かさを表す指標となります。IMF(国際通貨基金)の推計による2023年の一人当たりGDP(※1)のランキングでは、日本は世界34位となっています。しかし、1993年~1994年には日本の一人当たりGDPは世界1位でした。当時、日本は世界で最も豊かな国だったことになります。私は1987年に社会人となり、1993年は若手社員としてバリバリ仕事をしていた時期です。今回はそんな当時の記憶も呼び覚ましながら、一人当たりGDP世界1位の日本とはどんな様相であったのか、振り返ってみたいと思います。  (※1)ドル建て名目ベースです。

最初に白状してしまうと、私の1993年~1994年頃の日本の印象は芳しいものではありません。日本経済は1989年のバブル崩壊の傷が癒えないまま、ズルズルと悪化の一途を辿っていました。銀行の不良債権がヤバそうと言われ始めたのも、この頃かと思います。1995年には阪神・淡路大震災、地下鉄サリン事件とバッドニュースが続き、時代は世紀末の様相を呈していきます。株価、地価とも下落が止まらず、1997年、4大証券の一角であった山一証券が自主廃業し、都銀の北海道拓殖銀行が倒産。翌1998年には長期金融界の雄、長銀と日債銀が経営破綻します。こうして、我が国は戦後最大の金融危機に陥りました。
1993年~1994年当時の為替は概ね1ドル=100円~110円程度で、現在より大幅に円高の水準でした。日本経済は不況であったにも関わらず、円高に阻まれて輸出をドライバーとした景気回復を図ることができませんでした。政府が打つ総合経済対策も空振りに終わり、後に「失われた30年」といわれるデフレスパイラルに突入することになります。

当時の私は顧客企業の退職年金の資産を運用する仕事をしていましたが、株式市場の不調でマイナスの運用が続き、顧客企業から怒られてばかりいました。詐欺師!と罵られたことも、一度や二度ではありません。就職氷河期で街にあふれた学生たちは、皆うつろな表情で空を見上げていました。この頃の日本が世界で最も豊かだと言われても、私にはブラックジョークにしか聞こえません。唯一、海外旅行をした人だけが、日本の豊かさを実感したことでしょう。

当時を知らない今の若者にはピンとこないかもしれませんが、これから日本でインフレ(※2)が常態化すれば、たとえ一人当たりGDPが世界34位であっても、総合的に見て現在の日本の方がずっと幸せだと私は思います。デフレで人々の心が凍り付いた状態で一人当たりGDPが世界1位だと言っても、そんなものは偽りの世界一です。逆に、インフレで人々が冬眠から覚めてアクティブになれば、一人当たりGDPが世界34位であったとしても、私はそんな日本の方が幸せであり、豊かだと思います。インフレに関しては、モノやサービスの価格が上がるといったミクロ(家計や企業)のマイナス効果に焦点が当たりがちですが、中長期的には経済活動の活発化によるマクロのプラス効果を実感できるようになります。一人当たりGDPのランキングも、徐々に改善していくはずです。私はこれからの日本に希望しか持っていません。  (※2)インフレ、デフレは物価の程度とともに、経済の活性度合いを表します。マイルドなインフレ経済は「高圧経済」とも呼ばれ、経済が適度に活性化した状態とされます。

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ライフプラン

【ラ】ストレスのない暮らし

私は今年60歳となり、正社員から契約社員になりました。年収は従前の半分以下に下がりましたが、職務上の責任も軽くなり、ほとんど好き勝手に仕事をさせてもらっています。年収は下がったものの、個人年金と企業年金の支給が60歳から始まるので、株の配当と合わせれば従来の年収なみの水準は確保できます。贅沢さえ言わなければ、毎日の生活に苦労することはないと思います。
今の私は仕事上のストレスはほぼゼロ。生活費は年金と株の配当、そして僅かな給料で何とかギリ賄える。「これってFIREじゃね?」と、ふと思いました。もちろん、私は既に還暦ですし、仕事も辞めていないので、厳密な意味でFIREを名乗る資格はありません。しかし、契約社員=副業と考えれば、かなりFIREに近い状態(※)になっているのではないでしょうか。
(※)バリスタFIREというやつです。ただの年金生活者という説もありますが……。

疑似FIRE状態となった4月以降、私の心にある変化が生じました。仕事のストレスがなくなり、お金の心配もほぼなくなったため、私の心は一気に軽くなりました。いや、軽くなりすぎました。そのため、逆に私の心は緊張を求めるようになったのです。人が緊張を感じるには、リスクが必要です。私は心の命じるまま、以前にも増してリスクを取りにいくようになりました。日経平均が40,000円の高値圏にあるとき、私は無謀にも複数の銘柄を買いました。お陰で今は評価損の拡大に怯える緊張の日々です。また、この夏、私は沖に流される可能性のある伊豆の海で、何度も潜りました。そして、今週末、滑落の危険がある中央アルプス宝剣岳に登る予定です。やめときゃいいのにと思われるでしょうが、緊張を求める私の心がそれを許しません。

大昔、ヒトがまだお猿さんだった頃、ジャングルで常に捕食者に狙われていたご先祖様は、大変なストレスを感じていたことでしょう。現代人はコンクリートジャングルで、別のストレスを感じながら生活しています。ストレスは決して体にいいものではありませんが、人間が生きていくうえで欠かすことのできないものかもしれません。だから、今日も私はリスクを求めて彷徨うのでしょう。