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年金 閑話休題

【年】公的医療・介護、今そこにある危機

以前、年金改革の背後で蠢く国の悪企みで公的医療(健康保険)や介護(介護保険)の危機的状況について触れました。でも、医療・介護がそれほど危機的状況だっていうなら、なんで世間が騒がないんだ?、と疑問に思う方もいらっしゃるでしょう。確かに年金の場合、消えた年金問題とか、年金の破綻とか、メディアやSNS等でヒステリックに叫ぶ人が絶えません。それに比べ、医療・介護の危機を叫ぶ声は、ほとんど聞こえてきません。今回は、そのあたりの謎について考えてみたいと思います。

まず、確認しておきたいのが、年金と医療・介護の仕組みの違いです。年金の場合、国民は国民年金なら20歳から60歳まで、厚生年金なら会社に入社してから退職するまで、毎月保険料を払います。そして、保険料の支払いが終わったあと、国民年金、厚生年金とも65歳から年金の受取りが始ります。ここでは、保険料の負担(支払い)が先、年金の給付(受取り)が後の形です。また、年金の場合、受取る年金額は加入期間の月数と、その間の給料(平均標準報酬額)で予め決まります。
一方、健康保険や介護保険の場合、国民は毎月保険料を払う点(1回目の負担)では年金と同じですが、実際にサービスを受ける段階で、病院や介護施設の窓口で改めて支払い(2回目の負担)が必要となる点で異なります。ここでは、1回目の負担は給付より先、2回目の負担は給付と同時の形となります。また、医療や介護の場合、サービスの金額とサービスを受取る時期は、受取るサービスの内容によって変わってきます。

上表から、年金と医療・介護に対する国のスタンスの違いを推測できます。年金の場合、国は国民が保険料を払い終わったら、あとは金額の確定した年金を払うことしかできません。(年金の裁定を受けると国民に財産権が生じます。)払う段になって、「予定より年金の額が減っちゃいました。ご免なさい。」なんてことは法的に許されません。ですから、国は年金の財政状況が厳しくなってきたら、前広にメディア等を通じて「ヤバイヨ!ヤバイヨ!」と国民にアピールします。そして、国民が保険料を払い終わる前に保険料を値上げしたり、マクロ経済スライドで年金額を(名目ベースは維持しながら)インフレ控除後の実質ベースで減額したりするわけです。また、年金を減額するだけでは国民から不満が出るので、NISAやiDeCoといった税制優遇措置を設けて、国民の自助努力を後押しするわけです。

医療・介護では、2回目の負担(病院や介護施設の窓口での自己負担)と医療・介護サービスの給付は同じタイミングで行われます。また、医療・介護のサービスの金額も受取り時期も、事前には決まっていません。つまり、医療・介護の場合、年金と違い国のフリーハンドが大きいと言えます。(そもそも医療・介護には年金のような財産権という概念もありません。)医療・介護の財政が厳しければ、いざとなったら患者や利用者の窓口負担を増やすとか、医療・介護の保険給付を削減することも、理屈の上では可能です。2回目の負担と給付は同時履行の関係にあるので、窓口負担の値上げを拒否する患者や利用者は、サービスの提供をストップされます。また、治療薬や介護サービスの保険適用が削減されたと病院や介護施設からと言われれば、黙って従うほかありません。

このように、医療・介護の場合は、年金に比べ制度運営における国の裁量が大きいため、(後からでも何とかなるだろうと)財政悪化に対する国の危機感が弱いのではないかと推察されます。あるいは、医療・介護財政が厳しいことを下手に国民に知られて騒がれては、今後、自己負担の増加や保険給付の削減がやりにくくなるので、今は敢えてメディア等への露出を控えているのかもしれません。

財政の危機的状況という点では、既にマクロ経済スライド等の対策が打たれ、今後も5年毎の財政検証で改善が図られていく年金に比べ、(保険料の引上げは後追いで行われていますが)未だ手付かずの医療・介護の方がはるかに深刻です。また、今回は敢えて言及しませんでしたが、医療制度は医師会とモロに利害がバッティングする領域です。そのため、医療制度改革は、医師会を初めとした強力な政治パワーとの調整が不可避であり、政治家、官僚とも手を付けたくないというのが本音かと思います。私たち国民としては、国が医療・介護の危機をアピールしてこない事に安心するのではなく、リスクシナリオを念頭に、前広に自助努力を進めることが賢明と考えます。

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【閑】ご当地ソング

10月20日は「新聞広告の日」だそうで、日本新聞協会は「新聞週間」の期間中、47都道府県の「ご当地ソング」を全国76紙に掲載しました。広告「新聞からご当地ソングが聴こえてくる。」の地図に併記されたQRコードにスマホをかざすことで、ご当地ソングの動画を楽しめるようになっています。

さて、肝心のご当地ソングですが、岩手県=北国の春、新潟県=佐渡おけさ、東京都=東京ブギウギ、神奈川県=ブルーライト横浜、静岡県=天城越え、大阪府=やっぱ好きやねん……、てな具合になっています。ただ、このご当地ソング、誰が選んだか知りませんが、一部には首を傾げたくなるのもあります。例えば、我が愛知県=燃えよドラゴンズ、とか鳥取県=ゲゲゲの鬼太郎。これって、ご当地ソング違うんちゃいますの? まあ、愛知県なんて全国区のネタはトヨタくらいで、文化不毛の地ですから致し方ないのかも知れませんが。ちょっと寂しい気がします。だったら、いっそ鳥取県みたく、愛知県出身のアニメ界の巨匠:鳥山明先生のドラゴンボールの主題歌でも良かったんじゃないかと思います。

そして、もし、私にご当地ソングを選ぶ権利があったなら、私はきっとこの曲を選ぶでしょう。つぼイノリオ:金太の大冒険

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【閑】東京と大阪

私は普段名古屋で仕事をしていますが、3ヶ月に1度東京本社に会議のため上京します。新幹線が多摩川を超え東京都に入ると、私の体は緊張で強ばってきます。アドレナリンが分泌され、血圧が上昇して、心臓の鼓動が激しくなります。東京といえば、地方の人にとってショッピングや食事、観光等の娯楽を楽しむ夢のある街ですが、私にとってはできれば足を踏み入れたくない場所です。なぜなら、かつて私の東京勤務の日々が、絶望に満ちたものだったからです。たび重なる仕事上のトラブル、ミス。上司や同僚、大勢の関係者に迷惑をかけました。その全てが私の至らなさが原因です。今でも当時のことを思い出すと、胃液がこみ上げてきます。

10年間の東京勤務のあと、私は追い出されるように大阪転勤となりました。大阪でも私のポンコツぶりは変わらず、ミスが続きました。仕事が終わってもまっすぐ家に帰る気になれず、最寄り駅の近くの焼き鳥屋でぐだぐだ時間を潰しました。ほろ酔い気分で、このまま消えてなくなりたいと何度思ったことか。ポキッと心が折れる音を聞いたのも、この頃です。でも、不思議なんです。私は大阪にネガティブな印象を持っていません。最近もプライベートで大阪に行きましたが、東京のような緊張感を強いられることはありませんでした。
なぜでしょうか。大阪の街が持つ暖かさのせいでしょうか。大阪には私のような敗者も受け入れてくれる、懐の深さがあります。「大丈夫だから。今は黙って眠りな。」 そうささやいてくれる兄貴のような街です。

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【年】遺族年金の見直しについて

2024年7月30日の社会保障審議会年金部会において、遺族厚生年金の見直しが議論されました。現在の厚生年金では、子のない世帯の遺族厚生年金において男女差が存在しており、今回これを見直そうというものです。複雑で非常に分かりづらい公的年金(厚生年金、国民年金)ですが、以下では細部を省きビジュアル的にお示しすることで、現在進行している遺族厚生年金見直しの議論を直感的にご理解いただこうと思います。

子(18歳到達年度の末日までの子。または1・2級の障害状態にある20歳未満の子)のない世帯の遺族厚生年金には、男女差が存在します。現在、妻は夫の死亡時に30歳未満であれば5年の有期給付(有期年金)、30歳以上であれば終身給付(終身年金)を受け取れるのに対し、夫は55歳以上で妻を亡くした場合のみ、60歳以降に終身給付(終身年金)を受け取れることとなっています。これは女性は稼得能力が低く男性は高いという、旧態依然としたイメージが前提にあります。しかし、今や社会情勢は変化しており、喫緊の格差見直しが求められています。

2024年7月30日の社会保障審議会年金部会では、20歳代から50歳代(60歳未満)で死別した子のない配偶者に対する遺族厚生年金の見直しの方向性として、以下の3点が打ち出されました。
①男女で条件を分けず、5年間の有期給付とする
②現行制度のおける生計維持要件のうち、収入要件(年収850万円未満)の撤廃
③現行制度の遺族厚生年金額よりも年間の金額を充実させるため、有期給付加算(仮称)を新設

今回の年金部会で有期化の対象として議論されたのは、今後発生する子のない現役世帯の遺族厚生年金です。受給権が既に発生している人、子のある世帯、高齢期の遺族厚生年金の給付については、現行制度維持の方針が示されました。また、今後発生する子のない妻への遺族厚生年金については、(20年以上の)十分な経過措置期間をもって段階的に有期年金化を進める方針が検討されています。
確かに30歳以上の子のない妻にとっては、今回の遺族厚生年金の有期年金化は明らかな制度改悪であり、十分な経過措置期間が必要となります。また、子のある世帯では激しい男女間格差(※)が引き続き存続することとなりますので(上図ご参照)、早期の是正が望まれます。また、新設が検討されている有期給付加算(仮称)は、現行の中高齢寡婦加算とのバーターである点に注意が必要です。尚、今回の内容は「三井住友信託銀行 年金コンサルティングニュース 2024Autumn」を参考にさせて頂きました。 
(※)子のある夫が妻の死亡時に55歳未満であった場合、遺族厚生年金は支給されません。また、55歳以上であった場合も60歳までは支給が停止され(夫が遺族基礎年金の受給権を有する場合は支給停止されない)、60歳到達後に支給開始となります。一方、子のある妻は、夫死亡時の年齢に関係なく、その時点から遺族厚生年金が支給されます。

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【閑】山と株式投資

9月10日の火曜日、私は有休を取って日帰りで北アルプスの蝶ヶ岳へ行ってきました。標高2,677mと北アルプスの中では標高は控えめで、登山道もよく整備されているので、老若男女を問わず大変人気の山です。この日も平日にも関わらず、大勢の登山者で賑わっていました。蝶ヶ岳は山頂から眺める槍ヶ岳~大キレット~穂高岳の大迫力が魅力です。(当日は山頂がガスに覆われており、残念ながら目にすることはできませんでした。)また、山頂直下にある蝶ヶ岳ヒュッテ(収容150人)に泊まれば、美味しい食事をとりながら非日常的なひとときを過ごすことができます。ただ、北アルプス入門編の山といっても、そこは北アルプス。気軽に行ける場所ではなく、それなりの準備が必要になります。皆さんも軽いトレーニングをした上で、1度訪れてみることをお奨めします。きっと人生観が変わりますよ。

前置きが長くなりました。今回は私が蝶ヶ岳に登っている間に考えたこと、「何でオレは山に登るんだろう?」という点についてお話したいと思います。私が山を始めたきっかけは、他人から趣味を聞かれたときに「これです」と言えるものを一つ持っておきたかったからです。それから、健康上の理由(高血圧や高コレステロール)で運動をしなければいけなかったこと等もあり、山を続けてきました。そして、今回もう一つ、私が山に登る意味に思い到りました。それは「成長」です。

去年、私が蝶ヶ岳に挑戦していたら、途中でバテて日帰りは難しかったでしょう。でもこの1年、私は色んな山に登ってきました。その中で私の体力は少しずつ強化されてきたのだと思います。来年はもう少しタフな山にも挑戦する予定です。このように山を続けることで、(いつか限界は来ますが)年齢に関係なく登れる山のレベルは上がっていきます。還暦を過ぎたジジイでも可能です。これってすごくないですか? 人間のパフォーマンスは加齢とともに低下していくのが自然の摂理です。それなのに加齢に逆らってパフォーマンスがアップするなんて、アンビリーバブル! 私は「成長」を求め、これからも山に登ります。(もちろん、筋トレや他のスポーツを通してでも「成長」は可能です。)

と、ここまで考えて、私はさらにもう一つのことに気付きました。私が年金(企業年金と個人年金)のお世話になっても、株式投資を止められないわけ。それも「成長」なんじゃね? 確かに株式投資にはマイナスもありますが、長期的にはプラスの成長が期待できます。どれだけ投資家が高齢になっても、投資先の企業は関係なく成長していきます。私の足腰が衰え、いよいよ山登りができなくなっても、株式は成長を止めません。Going Concern。永遠の命です。私がくたばってあの世に行ったあとも株式は成長を続け、私の家族を見守ってくれることでしょう。(8月下旬に予定していた南アルプスの光岳は、台風10号の影響で断念しました。)

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【閑】昭和男とスギちゃん

最近は年(60歳)のせいか、食事はさっぱりした日本食、お酒はすっきり辛口の冷酒、音楽はすかすかのブルースがお気に入りです。身の回りのグッズも、無駄な飾りのない機能的なものに惹かれます。ハサミとか包丁とか。そうそう、バイクなんか、とてもセクシーだと思います。

生活や趣味でもシンプルさを追求するようになりました。家族や友人、会社の仲間やお客様の笑顔、それから投資している株式の塩梅。生活面で気を配っているのはこれくらいです。趣味は登山とダイビングの2つだけ。その分、体の動く限りは徹底して楽しみたいです。また、趣味ではシンプルさだけでなく、ワイルドさも追求しています。私は無事に山から下りてきたとき、海から上がってきたとき、こう心の中でつぶやきます。「ワイルドだろうぉ。」(スギちゃんか!) いい年してタフガイを気取る、哀れな昭和男だと笑ってやって下さい。

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【閑】寄生虫人生

人間は「幸せ」を糧に生きている動物です。そして人間には2つのタイプがあります。自分で「幸せ」を創れるタイプと、自分では「幸せ」を創ることができないタイプ。ちょうど光合成で炭水化物を作れる植物と、葉緑体を持たず自分では炭水化物を作れない植物がいるのと同じです。では、自分で「幸せ」を創れない人間は、どうやって生きていくのでしょうか? 彼らは他人に寄生し、「幸せ」を分けてもらうことで生を繋いでいきます。

どうやら私は、自分で「幸せ」を創れないタイプのようです。もうすぐお盆ですが、私の勤めていた会社にはお盆休みがありませんでした。しかし、私はお盆休みに故郷へ帰省したり、観光地に向かう人たちを見るのが好きでした。なぜか私もハッピーな気分になれたからです。今にして思えば、帰省や旅行に行く人たちから「幸せ」を分けてもらっていたのだと思います。そして、今では嫁さんや娘から「幸せ」を分けてもらっています。嫁さんや娘が毎日を楽しく、思い通りに過ごせる環境を整えるのが、ダンナでありオヤジである私の役目です。

これからも私は寄生虫として生きていくことになりますが、寄生虫の人生にもいい面があります。人は加齢とともに自分で「幸せ」を創り出すことが難しくなっていきますが、寄生虫は高齢者になっても若年者の宿主に寄生すれば、いつまでも上質で瑞々しい「幸せ」を感じることが可能です。こんなことを言うと、若い人から「気持ち悪りぃジジィ」と嫌われそうですが……。

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【閑】急がば回れ~霊峰白山の雪辱

2024年7月27日(土)、私は霊峰白山へ2度目の挑戦をしました。昨年コテンパンにやられた、あの白山です。昨年は準備万端、自信満々で登山に臨んだのですが、スタート直後からバテバテ、コースタイム8時間30分のところ、10時間かけて登頂・下山したのでした。事前に十分トレーニングしたのに、なぜあんなにもバテたのか。まず思い当たるのが、オーバーペースです。私は白山(2,702m)ほどの本格的な山に登るのは30年ぶりでしたが、ついつい若かったころのイメージで登り始めてしまいました。結果は、1時間後に”仮死状態”。そして、もうひとつの理由が飲酒です。昨年は前日に結構な量のお酒を飲み、体の重さを感じながら白山に登りました。(医学的に正しいかどうか知りませんが)、人間は登山中に大量の筋肉老廃物を血中に放出します。しかし、アルコールで腎機能が低下していると、老廃物の無毒化に支障が出るはず。そのため、体内に毒素が長期間滞留し、悪影響が出たのでは? また、脱水症状にもなりやすかったのでは?と、勝手に自己分析しました。

今回は昨年の反省を踏まえ、マイペースの登山に徹しました。しんどさを感じたら、とにかくペースダウン。そして、4ヶ月前からの”準禁酒”。意思の弱い私には完全な禁酒は無理なので、週1日程度に飲酒を限定しました。以前は年間366日?飲んでいたので、これでもかなりの酒量削減です。この2つを武器に、雪辱を果たすべく臨んだ霊峰白山。前回の記録を大幅に短縮する、7時間10分(休憩時間は除く)で登頂・下山できました。急がば回れ!この調子で南アルプスの光岳にも挑戦したいと思います。(7月に予定していた北アルプス薬師岳は天候不順のため断念しました。)

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【閑】柔よく剛を制す

私のサラリーマン人生は今年で37年になりますが、そのほとんどを営業の仕事に費やしてきました。それもお偉いさん(管理職)ではなく、現場の担当者としてです。営業ですから、当然結果を求められます。どうしたら成果を上げられるか。ない知恵を絞って色々と考えました。若い頃は「当社サービスをご利用いただくと、こんないいことがありますよ」的な、お客様の業務改善に繋がる提案を心懸けました。でも、大抵のお客様は、「お宅のサービスがうちにとってプラスになることは分かったけど、オレ、今忙しいんだよ。悪いけど、またにしてくれる。」といった感じで、スルーされることがほとんどでした。担当者様では埒があかないからと、部長様や課長様のところへ話を持って行くと、担当者様から「何で上に話を持って行った! オレは今忙しいと言っただろ!」と、きついお叱りをいただくのが常でした。

ヘタレな私は、社内でも上司からよく叱られました。他人に叱られるというのは、実に不愉快なものです。あるとき、私は気付きました。上司に叱られて不愉快なのは、取引先の担当者様も同じはず。だったら、担当者様が上司から叱られないようなお手伝いができれば、担当者様も当社サービスの採用に協力して下さるのではないか。例えば、私が担当者様の会社にダメージを与える可能性のある事案をご指摘し、当社サービスを使った対応策をご提案できれば、担当者様も喜んで動いてくれるのではないか。なぜなら、会社にとってダメージとなる事態を事前に回避できる手立てがありながら、担当者様の怠慢で放置したことが分かったら、あとから担当者様は上司に厳しく叱責されるはずだからです。(これはいわゆるマッチポンプというやつです。)

そのときから私は悪魔になりました。私は様々な業種の取引先を担当していましたが、その業界で、あるいはその取引先で先々災いとなりそうなネタを、毎日目を皿のようにして探しました。法律の改正、マーケットの変化、競合の動向、地政学的リスク等、環境の変化に伴うネタはいくつもあります。目に付いたネタがいかに取引先のダメージとなるか。そして、当社のサービスがいかにダメージを極小化するか。この流れをストーリーにまとめたら、あとはプレゼン資料に落とし込むだけです。(※)
(※)資料イメージ:①外部環境の変化→②取引先への影響→③当社サービスを使った対応策の提案→④効果検証(シミュレーション)

サラリーマンにとって、会社の利益への貢献度を評価される期待よりも、会社に生じた損失の責任を追及される恐怖の方が、アクションを起こす動機付け効果は大きいようです。私が指摘する事案がどれほど会社にダメージを与えるか、ダメージの程度を私が強調するほど、当社サービスを採用いただける可能性は高まります。私は取引先の危機を煽り立てる、忌まわしい悪魔でした。

私は高校で少しだけ柔道をやっていました。柔道には「柔よく剛を制す」という言葉があります。相手の態勢を”崩し”、相手の力をうまく利用すれば、体格の小さな者でも大きな相手を投げることができることを言います。私の営業では、当社のサービス内容を説明する前に、環境の変化により取引先がいかにヤバい状況にあるか、担当者様にご理解いただくところが”崩し”に相当します。自社のヤバい状況を理解した担当者様は、私が営業でプッシュするまでもなく、ご自身で前のめりになって当社サービスの採用に動いて下さいました。どれだけ当社サービスの品質が優れていても、それだけでは担当者様の「今オレ忙しい」の一言で終わりです。担当者様に危機感を共有いただき、「オレがさぼっていたことが課長にバレたらマズい」と思っていただければ、その時点で商談は成立したも同然です。




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【閑】お札とお札

私は毎朝、ある女性行政書士のブログを訪問するのが日課となっています。それは、私がいつか行政書士の試験にチャレンジしたいと思っていることもありますが、彼女のちょっと斜に構えた、そしてちょっと皮肉めいたドライな語り口が無性に好きだからです。昨日の朝もブログを訪問し、いつものように最新の記事を読み始めたのですが、何ともいえない違和感を感じました。記事はこんな書き出しで始ります。「そういえば、お札を新しいものに替えていなかった。外出したついでに神社に寄って、お札を新しいものに替えよう。」 私はてっきり、お札(さつ)を新札に交換する話かと思いました。テレビで諭吉から栄一さんにチェンジするというニュースをやってましたから。(※) でも、それなら行き先は銀行のはず。なんで神社なの? 確かに神社ならお賽銭のお札はいっぱいありそうだけど、旧札を新札に両替してくれるなんて聞いたことないし……。これが私の感じた違和感の正体です。そして、私の鈍い脳みそが、お札=おふだ、であると認識するまで10分かかりました。
(※)新札の発行は7月3日です。

でも、言い訳するわけじゃありませんが、お札(さつ)とお札(ふだ)、この二つをフリガナなしで並べられたら、正直、区別つきませんて。悔しいのでググってみたら、私と同じようなコメントがいっぱい出てきました。中には、最中(もなか)と最中(さいちゅう)も区別できないぞ、との意見もありましたが、こちらは前後の文脈から判断できそうです。

お札(さつ)とお札(ふだ)の話に戻ります。この二つが同じ文字なのは、もともとの由来が同じだからだそうです。(ネット記事の受け売りですが。) 現代社会では、モノやサービスの代金はお札(さつ)で「支払い」ますが、これは「お祓い」に由来する言葉とのこと。その昔、神社では人の罪やケガレのお祓いをヌサという紙(または麻・木綿)を使って行ったあとで、領収書兼お守りとして依頼人にお札(ふだ)を渡していました。そして、このヌサが現在のお札(さつ)に発展したと考えられています。このように、お札(さつ)もお札(ふだ)も、人の罪やケガレを祓うことに関係したものであり、言ってみれば双子のような関係だったのです。今ではお札(おさつ)は、人間の「金銭欲」や「支配欲」といったケガレの支払いに充てられています。お金持ちはおのれのケガレを落とすため、必死で稼いだお金を必死で使っているわけです。そう思うと、意外にお金持ちも辛いかもしれませんね。