私は毎朝、ある女性行政書士のブログを訪問するのが日課となっています。それは、私がいつか行政書士の試験にチャレンジしたいと思っていることもありますが、彼女のちょっと斜に構えた、そしてちょっと皮肉めいたドライな語り口が無性に好きだからです。昨日の朝もブログを訪問し、いつものように最新の記事を読み始めたのですが、何ともいえない違和感を感じました。記事はこんな書き出しで始ります。「そういえば、お札を新しいものに替えていなかった。外出したついでに神社に寄って、お札を新しいものに替えよう。」 私はてっきり、お札(さつ)を新札に交換する話かと思いました。テレビで諭吉から栄一さんにチェンジするというニュースをやってましたから。(※) でも、それなら行き先は銀行のはず。なんで神社なの? 確かに神社ならお賽銭のお札はいっぱいありそうだけど、旧札を新札に両替してくれるなんて聞いたことないし……。これが私の感じた違和感の正体です。そして、私の鈍い脳みそが、お札=おふだ、であると認識するまで10分かかりました。
(※)新札の発行は7月3日です。
でも、言い訳するわけじゃありませんが、お札(さつ)とお札(ふだ)、この二つをフリガナなしで並べられたら、正直、区別つきませんて。悔しいのでググってみたら、私と同じようなコメントがいっぱい出てきました。中には、最中(もなか)と最中(さいちゅう)も区別できないぞ、との意見もありましたが、こちらは前後の文脈から判断できそうです。
お札(さつ)とお札(ふだ)の話に戻ります。この二つが同じ文字なのは、もともとの由来が同じだからだそうです。(ネット記事の受け売りですが。) 現代社会では、モノやサービスの代金はお札(さつ)で「支払い」ますが、これは「お祓い」に由来する言葉とのこと。その昔、神社では人の罪やケガレのお祓いをヌサという紙(または麻・木綿)を使って行ったあとで、領収書兼お守りとして依頼人にお札(ふだ)を渡していました。そして、このヌサが現在のお札(さつ)に発展したと考えられています。このように、お札(さつ)もお札(ふだ)も、人の罪やケガレを祓うことに関係したものであり、言ってみれば双子のような関係だったのです。今ではお札(おさつ)は、人間の「金銭欲」や「支配欲」といったケガレの支払いに充てられています。お金持ちはおのれのケガレを落とすため、必死で稼いだお金を必死で使っているわけです。そう思うと、意外にお金持ちも辛いかもしれませんね。
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