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【株】落ちるナイフはつかむな

日経平均が38,000円の大台を割り、為替も1ドル=149円台に突入と、にわかに日本株の行方に暗雲が立ちこめてきました。ひょっとしたら、もう一段の下げがあるかもしれません。こんな場面でよく使われる格言に、「落ちるナイフはつかむな」があります。その意味をネットで検索すると、A証券のホームページでは「落ちてくるナイフをつかむと、上手く柄をつかめないで、刃をつかんでケガをしてしまいます。ナイフが床に落ちてからつかめば全く無傷です。」「株価が急落している時に買ってしまうと、どんどん下がって大損してしまうので、株価が目先の底について、そこから下がらない事を確認してから買った方がいいということです。」とあります。また、B証券のホームページでは「賢明な投資家は落ちてくるナイフなんてつかまずに、株価が底を打つのを見届けてから買う。底に落ちて刺さったナイフなら、安心して抜いていいからね。急落中の株に”安い!”と飛びつく前に、この格言を思い出そう。」とあります。

さて、このA証券やB証券のホームページの解説を見て、皆さんはどう思いましたか。「なるほど」と思った方。ちょっと人が良すぎます。「本当にこれがプロの解説か?信じられない。」と思った方。正しいです。
ここで、A証券さん、B証券さんに伺いたい。だいたい、株価の目先の底を確認するだの、株価が底を打つのを見届けるだの言ってますが、あなた方はそんなこと本当にできるとお考えですか?それとも、株価が底を打った瞬間にコツンと音でもすると仰るのですか?

プロの方にこんなこと言ったら釈迦に説法ですが、短期的な株価動向は予測不能(ランダムウォーク)です。株価の底値だと思ったら、実は二番底の入口だったなんて話はザラにあります。なので、落ちるナイフをつかむことが悪手かどうか事前には分かりません。上がるナイフをつかんだら、そこが戻り高値だったなんてこともありますし。つまり、言えるのは、売買タイミングに下手に相場観を入れるのはやめた方がいいこと。そして、ドルコスト平均法のように機械的に売買する方が、リスク抑制の観点からは好ましいということです。機械的な買いでたまたま”落ちるナイフをつかむ”ことになっても、それはそれで粛々とオペレーションを継続すべきです。

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【株】日本経済の行方

相場の予想なんて当たるわけがありません。もしあなたの回りで、したり顔で相場の予想を垂れる輩がいたなら、眉に唾を付けてから聞くことをお薦めします。しかし、日本という国の経済が今後どこへ向かおうとしているのか、そんな大局観について議論することは決して無駄ではないと考えます。

ひとつ参考にしたい本があります。齋藤ジンさんが書かれた「世界秩序が変わるとき」(文春新書)です。齋藤さんは日本のメガバンク出身の投資コンサルタントです。といっても、そこらへんに転がっている自称コンサルとは違って、ヘッジファンドをはじめとした運用のプロたちに助言する超一流のコンサルタントです。そんな齋藤さんが本書で主張するのが、新自由主義の終わりと日本の復活です。どういうことかと言いますと、「新自由主義的な世界観に支えられてきた既存システムは信認を失った。根幹となる世界観への信認が崩れた以上、パラダイムシフトが発生する。その結果、勝者と敗者の入れ替え戦が始り、(今まで負け組であった)日本は勝ち組になる。」というものです。

「日本が勝ち組」と言われても、にわかには信じ難いですが、日本が勝ち組になると齋藤さんが考える根拠は二つあります。ひとつめの根拠は、覇権国家アメリカが中国を封じ込めるため「強い日本」の協力が不可欠になっており、日本経済の成長を後押しする可能性が高いことです。このような地政学上の要請でアメリカが日本をバックアップした事例は過去にもあります。第二次世界大戦後の冷戦下で、アメリカはソ連封じ込めの一環として日本経済の強化を図るため、1ドル=360円という超円安水準に為替を固定するとともに、日本製品の輸出先として米国市場を開放しました。これらのアメリカの支援によって、日本は高度経済成長を果たすことができたのです。

そして、ふたつめの根拠は、日本経済が「失われた30年」というデフレのノルム(常態)から解放されつつあることです。これからの日本では人口減少がインフレ圧力として働いてきます。実際、2025年春闘では昨年に続き力強い賃金上昇が見込まれています。2024年の春闘では中小企業の賃上げも4%を超えました。これが常態化するようであれば、4%アップの賃金を支払う余力のある企業だけが生き残ることになります。
デフレ下で温存されてきたゾンビ企業は淘汰され、銀行に積み上がった家計の貯蓄は株式市場に流れ込み、企業の内部留保は設備投資に回ることでしょう。日本経済の生産性は劇的に改善することが期待されます。

経済成長と株価の動向は短期的には必ずしも一致しませんが、長期的にはある程度パラレルに動きます。日本経済が齋藤さんの見立て通りになるかは分かりません。しかし、個人的にはこのシナリオに乗ってみたい気分です。ていうか、もう乗っています。

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閑話休題

【閑】ヒゲダンス

投資ネタ不足にて、本日も「閑話休題」となります。新鮮な投資ネタが入荷するまで、暫しお待ち下さい。

この前、私が一方通行の細い道を車で走っていたときのことです。道の向かって右側で工事が行われていました。工事用の重機が道の一部にはみ出ていたようで、建設会社の社員さんが2名で交通整理に当たっていました。車を減速しながらその様子を見ていた私は、なぜか違和感とともに懐かしさを感じました。

社員さんは両手を左右に広げ、やや前かがみに並んで立って、手のひらを地面と平行になるように直角に折り曲げ、両手を上から下へゆっくり動かしていました。それを何度も繰り返すのです。最初、私は彼らが私をからかっているものと思いました。しかし、私を見つめる彼らの表情はいたって真剣。むしろ何かを訴えかけているようです。そのとき、私は彼らの妙なゼスチャーの意味に気付きました。私は工事中の道路で車を十分減速したつもりでしたが、不十分だったようです。そこで彼らは両手をゆっくり上から下へ動かすことで、もっとスピードを落とすようにとメッセージを送っていたのです。

私は今までこのような形で車を減速するよう指示を受けた経験がありません。私の感じた違和感の原因はそれです。では、私が感じた懐かしさの理由は? そう、彼らの動作が、ザ・ドリフターズの加藤茶さんと志村けんさんがテレビ番組『8時だョ!全員集合』でやっていた、あのヒゲダンスにそっくりだったからです。テレビで放送されていたのは1979年から1980年にかけて。当時、私は中高生でした。私は実家の狭い狭い部屋で、両親と団らんを囲んで毎週楽しみにテレビでヒゲダンスを見ていました。
志村けんさんは残念ながらコロナでお亡くなりになりましたが、加藤茶さんは今でもご健在です。

今回はシニア限定のようなお話になってしまいましたが、ヒゲダンスはユーチューブでもご覧になれます。ヒゲダンスをご存じない方は、是非一度ご覧になってみて下さい。

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閑話休題

【閑】バリューのあるジジイを目指して

私事で恐縮ですが、私は先日61歳となりました。気はまだまだ若いつもりですが、立派なジジイの出来上がりです。焼きたてのパンは甘く香ばしい香りがしますが、出来上がったばかりのジジイは甘酸っぱい加齢臭がします。ところで、今回はジジイとなった私が今後どういう方向を目指して生きていこうと考えているのか、お話したいと思います。ジジイの問わず語りなど興味ないという方は、どうぞスルーして下さい。

以前、我が家の昭和的エコシステムでご紹介しましたが、我が家の夫婦、親子関係はちょっとよその家庭とは違っています。我が家は健康で自由な毎日を送ることを目標に、各人がそれぞれ割り当てられたミッションを実践するパートナーシップのような関係性で繋がっています。語弊があるかもしれませんが、愛情よりも経済的な依存関係といってもいいかもしれません。そんな我が家において、私のミッションはキャッシュフローを獲得すること。しかし、当然のことながら年齢を重ねるほど私の体力は低下し、労働によるキャッシュフロー獲得力は低下していきます。このままではパートナーシップは機能不全に陥ります。そのため、私が今考えていることは2つです。ひとつは投資力のアップ。つまり、株式配当の受取り額の増強です。そして、もうひとつは年金力のアップ。これはなるべく長く、なるべく高い報酬で働き、そのうえで年金の受給を繰り下げることで実現できます。

高齢になるにしたがい保有資産のリスクを抑え流動性を高めていくのが金融論のセオリーですが、私は敢えて逆のことをやります。自分がくたばるその日まで、株のフルインベストメントでいくつもりです。株式の相続はちょっと面倒かもしれませんが、私の死後も私が投資した株たちが私の家族の生活をサポートしてくれることでしょう。
年金についても、受給を繰上げて前倒しで受取る方が多いですが、私は逆を行きます。私は年金の繰上げを批判するつもりはありません。でも、キャッシュフローの獲得力を強化するためには、受給の繰り下げがとても効果的です。自分が不用意に長生きしてしまったとき、迷惑を被るのは家族です。受給を繰り下げ年金額を増額しておけば、自分が重度の介護状態で寝たきりになっても、家族に介護費用の負担が及ぶことも少ないでしょう。

人は誰しもジジイになると、付加価値を生産せず、ただモノ・サービスを消費するだけの存在として、社会のお荷物に見られがちです。でも、そんなジジイも投資力や年金力を発揮して家族や社会に貢献できれば、利用価値(バリュー)のあるジジイとして存在意義を認められるのではないでしょうか。