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閑話休題

【閑】人生の逝き方について考える

日本人にとって、「死」は忌まわしいものとして口にするのも憚られますが、これからの超高齢化社会においては、「死」をもっと身近で日常的なものとしてとらえる必要があると思います。久坂部羊さんの「人はどう死ぬのか」(講談社現代新書)は、「死に関する新しい教科書」として人が上手に死ぬための方法論を、簡易な文体で展開しています。今回は、「人生の逝き方」について私の独断と偏見で、久坂部さんの本のエッセンスをご紹介させていただきます。

1.PPK 
最後はPPK(ピンピンコロリ)で逝きたいという方は多いですが、ほとんどの方はピンピンとは行けてもコロリとは逝けないようです。コロリと逝くためには、心筋梗塞や脳卒中、クモ膜下出血の力を借りる必要があります。でも、人はこれらの疾患に襲われても、発作と同時に死ぬわけではなく意識も失いません。つかの間、経験したことのない猛烈な痛みとともに、人生の一括清算を強いられます。脳卒中の場合、金属バットで頭を殴られたような痛みを感じるらしいです。でも、猛烈な痛みを感じつつ、いきなりの死を目前に恐怖と悲しみに震えながら死神に拉致されるのが、ポックリ死のリアルです。人生を振り返る余裕はなく、覚悟を決める間もなく人生を強制終了させられる。死後の準備はできず、家族や親友・恋人にお別れもできません。それでも、あなたはPPKを望みますか?
尚、日頃から健康増進に努めている奇特な方は、体力があるため簡単には死ねません。そういう方はPPKとはいかず、PPDD(ピンピンダラダラ)となります。

2.老衰
ご長寿のあとで眠るように天に召される。安らかで清々しいイメージ。老衰で逝くことに憧れる方も多いですが、実際はそんなに生易しいものではないようです。老衰は死ぬまでに、いくつものハードルを超えなければいけないからです。
死のかなり前から全身が衰え、不自由さと惨めさに耐え抜いた後でやっと楽になれます。寝たきりになり、下の世話をはじめ清拭や陰部清浄、口腔ケア等を他人に委ね、心不全と筋力低下で身体は動かせず、呼吸は苦しく、言葉を発するのも無理という「お前はすでに死んでいる」ような状態を経て、やっと死に至ります。
老衰は決して、安らかでも清らかでもありません。

3.がん
がんは治療さえしなければある程度の死期がわかるので、前広に準備が可能です。行きたい所へ行き、会いたい人に会い、食べたいものを食べることができます。お世話になった人にお礼を言い、迷惑をかけた人にお詫びをする時間があります。超高齢期に身体の自由と認知能力を失う無常を味わわずに済みます。これらのことをよく知る医療関係者が、「死ぬならがんで」と言うのも当然な気がします。
がんで死ぬときに大事なことは、無理に治ろうとしないことです。嘗て、がんは治るか死ぬかの病でしたが、今では治らないけど死なない病になりました。がんとの共存です。がんを根絶しようとすると、過度な治療を受けて副作用で苦しんだり、命を縮めたりします。過度な治療ではなく、ほどほどの治療で様子見をし、治療の効果より副作用の方が大きくなったら、潔く治療を止める。死にたくないではなく、上手に死ぬことを考えましょう。いつまでも治療に執着していると、せっかく残された貴重な時間を辛い副作用で浪費することになります。
がんとの共存はがん細胞の全滅を目指すのではなく、患者さんの命を奪わない程度なら転移があっても様子を見るという戦略です。がんが怖いのはがんが死ぬ病だからで、治らないけど死なないのなら高血圧や糖尿病等の慢性疾患と変わりません。がんは治らないと分かっても絶望する必要はなく、困った隣人だと思って上手く付き合いながら、決して短くはない残された時間を有意義に過ごすことを考えたいものです。

4.認知症
以下は私の個人的な意見ですが、私は認知症は神様からの贈り物だと思っています。認知症のご老人は「死」の恐怖すら忘れることができます。認知症のご老人には、もはや何も恐れるものはありません。