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閑話休題

【閑】バリューのあるジジイを目指して

私事で恐縮ですが、私は先日61歳となりました。気はまだまだ若いつもりですが、立派なジジイの出来上がりです。焼きたてのパンは甘く香ばしい香りがしますが、出来上がったばかりのジジイは甘酸っぱい加齢臭がします。ところで、今回はジジイとなった私が今後どういう方向を目指して生きていこうと考えているのか、お話したいと思います。ジジイの問わず語りなど興味ないという方は、どうぞスルーして下さい。

以前、我が家の昭和的エコシステムでご紹介しましたが、我が家の夫婦、親子関係はちょっとよその家庭とは違っています。我が家は健康で自由な毎日を送ることを目標に、各人がそれぞれ割り当てられたミッションを実践するパートナーシップのような関係性で繋がっています。語弊があるかもしれませんが、愛情よりも経済的な依存関係といってもいいかもしれません。そんな我が家において、私のミッションはキャッシュフローを獲得すること。しかし、当然のことながら年齢を重ねるほど私の体力は低下し、労働によるキャッシュフロー獲得力は低下していきます。このままではパートナーシップは機能不全に陥ります。そのため、私が今考えていることは2つです。ひとつは投資力のアップ。つまり、株式配当の受取り額の増強です。そして、もうひとつは年金力のアップ。これはなるべく長く、なるべく高い報酬で働き、そのうえで年金の受給を繰り下げることで実現できます。

高齢になるにしたがい保有資産のリスクを抑え流動性を高めていくのが金融論のセオリーですが、私は敢えて逆のことをやります。自分がくたばるその日まで、株のフルインベストメントでいくつもりです。株式の相続はちょっと面倒かもしれませんが、私の死後も私が投資した株たちが私の家族の生活をサポートしてくれることでしょう。
年金についても、受給を繰上げて前倒しで受取る方が多いですが、私は逆を行きます。私は年金の繰上げを批判するつもりはありません。でも、キャッシュフローの獲得力を強化するためには、受給の繰り下げがとても効果的です。自分が不用意に長生きしてしまったとき、迷惑を被るのは家族です。受給を繰り下げ年金額を増額しておけば、自分が重度の介護状態で寝たきりになっても、家族に介護費用の負担が及ぶことも少ないでしょう。

人は誰しもジジイになると、付加価値を生産せず、ただモノ・サービスを消費するだけの存在として、社会のお荷物に見られがちです。でも、そんなジジイも投資力や年金力を発揮して家族や社会に貢献できれば、利用価値(バリュー)のあるジジイとして存在意義を認められるのではないでしょうか。