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株式

【株】ビッグウェンズデー

ビッグウェンズデーという映画をご存知でしょうか。
1970年代に公開されたアメリカ映画です。カリフォルニアの海で、水曜日にやってくるという伝説の大波に挑む若きサーファーたちの物語です。詳しい内容は忘れてしまいましたが、映画を見たあとの爽快感は鮮明に覚えています。
何でそんな話をするのかといいますと……。感じるんです、ビッグウェーブの胎動を。

私が会社に入ったのはバブル前夜の1987年です。当時担当していた某取引先が社員食堂ならぬ社員ディスコ(今ならクラブですか)を作ったり、同社の関係者が時価2億円の超高級外車(確かフェラーリF40)をデート中に炎上(SNS上ではなく文字通り)させるなど、とにかく浮かれたエピソードには欠かない時代でした。
金余りの中、銀行が不動産を担保に会社や個人にお金を貸しまくり、会社や個人は株や土地を買い漁りました。日本中がヘッジファンドと化していたのです。

当時は銀行と事業会社、あるいは事業会社同士が株を持ち合っていたため、市場に流通する株式は数が限られており、その限られた株式を会社と個人が奪い合いました。そして、気が付いたときには、日経平均株価は39,000円目前に迫っていたのです。また当時、東証の外国人の売買シェアは8%程度と低かったため、日本市場と海外市場の裁定は働かず、日本株の割高さが修正されることはありませんでした。1989年の日本株のPERはなんと60倍。今にして思えば、極東のガラパゴスで起きた珍現象でした。

しかし、さすがに日経平均40,000円の大台を前に、酔っ払いたちの目も覚めたのでしょうか。1989年の大納会で付けた38,915円を最後に、日本株は下げに転じます。下がり始めるとレバレッジが逆回転し、一気に相場は崩れました。バブル崩壊です。このころはバブルというワードがまだ一般化しておらず、私の上司など取引先を訪問しては、「バブルが弾けた」と言うつもりで「バルブが飛んだ」とよく言ってました。

バブルかどうかは、事前にはわかりません。グリーンスパン元FRB議長が言ったように、バブルは弾けて初めてバブルであったと分かるものです。ですから、金融当局が取るべき行動は、事前のバブル潰しではなく、バブル崩壊後の相場の下支えです。ここのところを当時の日銀は理解せず、セオリーと真逆のことをやらかしました。日銀はバブル崩壊後速やかに金利を引き下げるべきところ、金利を引き上げたのです。それも、15ヶ月の短期間に3.5%もの利上げです。この危篤患者に冷や水を浴びせるような行為により、日本株は瀕死状態となります。「平成の鬼平」と言われた当時の日銀総裁は、国民の支持もあり「バブル退治」と言いながら、掟破りの魔手をうち続けます。日本経済はその後「失われた30年」といわれる長期停滞に陥りましたが、私はこれは日銀の不作為による人災だと思います。
ちなみに、リーマンショック後の米国株は、当局の迅速かつ適切な政策対応により5年ほどで回復しています。

瀕死状態となった日本株ですが、死んではいませんでした。失われた30年の間に、あれほど割高であったPERは国際標準の15倍程度に修正され、EPSも着実に改善しました。東証の外国人シェアも、今では60%を超えています。仮に、足元の日経平均のEPS2,100円を米国並みのPER20倍で評価すると、2,100×20=42,000円となります。余裕で最高値の38,915円を更新する勢いです。また、東証1部の足元の時価総額は730兆円と、バブル期の606兆円をはるかに凌いでいます。冒頭、私がビッグウェーブの胎動を感じるといった理由がお分かりでしょうか。

振り返ればこの30年、もう二度と日経平均最高値38,957の更新はないという絶望と閉塞感が、日本社会を覆ってきたように思います。しかし、前回のピークから35年、ようやく、そのくびきから解放されるときが来ました。今まさにFRBは金融政策の転換に入ったところです。コロナ禍による過剰流動性で底上げされた現下の株価水準は到底維持困難であり、調整は必至でしょう。しかし、私は調整を終えた次の上昇波動において、日経平均株価は最高値を更新するとみています。そして、その瞬間、日本人は再び前を向いて歩き始めるのです。

来るべき「ビッグウェンズデー」に向けて、仕込みは抜かりなく。