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閑話休題

【閑】ヘタレのけじめ

個人投資家を志す方たちに本質的な情報を提供していきたいとの当ブログに込めた私の思いは、トップページやプロフィールに書かせていただきました。しかし、ブログ開設に至る経緯についてはまだお話していません。そこで、今回は私のヘタレなサラリーマン人生と、私なりのけじめの付け方。そして当ブログ開設の経緯についてお話したいと思います。サラリーマン人生の失敗例として、またそうならないための反面教師として、少しでも皆さんのお役に立てば幸いです。

1987年6月、私は2ヶ月間の新入社員集合研修のあと、某銀行某支店に営業担当として赴任しました。運良くリッチなお客様を担当することになったため、当初数年間は良好な営業成績を上げることができました。上司から好評価をいただき、入社5年目には会社でも花形とされる部署へ異動することになりました。今にして思えば、この瞬間が私のサラリーマン人生のピークでした。


新しい職場は、当時まだ黎明期の債券デリバティブのディーリング部門でした。スタッフの半数は外人。英語と数学が飛び交う職場です。ど文系で超ドメスティックな地方大学を赤点すれすれで卒業した人間にとって、全くの別世界です。私は転勤早々、来てはいけない所へ来たことを実感しました。私なりに努力はしたつもりです。しかし、時間がたつにつれ、私の業務への適応性のなさは誰の目にも明らかとなり、悪あがきするほどトレードの損失は膨らんでいきました。そして、ある日、上司に呼ばれ、「もういい。何もするな。」と告げられました。

普通、仕事ができない人間に対し上司がかける言葉は、「もっと仕事しろ」であり、「死ぬ気でヤレ」です。近年ではパワハラになってしまうかも、ですが。でもこれらの言葉には、「君なら頑張ればできる」という上司の期待が込められています。本当にダメな人間には、こんな言葉はかけません。そんなわけで、私は入社5年目にして早くも社内失業状態となりました。
その後、ディーリング業務を外れ古巣の営業に戻りましたが、大した成果を上げることもなく気が付けば55歳の役職定年になっていました。こんなポンコツを解雇しなかった会社には、感謝の気持ちしかありません。

役職定年で会社を去る日、私は自分にこう問いかけました。「俺は会社でいったい何をやってきたのだろう」30年の銀行員生活で私に残ったのは営業経験だけです。私はこの30年間、ずっと現場でお客様と向き合ってきました。料理人のように手に職のある方なら、10年も経験があればプロとして独立し自分のお店を持ちます。だったら私もプロとして「金融職人」として、この30年間に培った経験・知識で社会に対し何かできることがあるはずだ、そう思いました。

ただ、私の経験・知識は、社内という閉じた空間でのみ有効なものです。社会で通用するには、偏った知識に汎用性を持たせる必要があります。そこで思いついたのが資格試験へのチャレンジです。まずFPの資格を取りFPの体系に沿って知識の穴を捜すことにしました。私は長く企業年金の営業についてきましたが、世間で年金といえば厚生年金や国民年金のことです。そこで、社会保険労務士にチャレンジし、公的年金の知識の穴を埋めました。また、運用の仕事にも携わってきましたが、不動産については経験がありません。そのため、関連書籍に目を通したり、不動産業者のセミナーに通いました。マンション管理の知識を深めるため、マンション管理士の資格にもチャレンジしました。

最近、老後2000万円問題やFIREといった派手なワードに煽られ、個人投資家が誤った道に迷い込むことが危惧されています。私は金融職人として未だ発展途上ですが、個人投資家を志す皆さんに飾りのない骨太な情報を発信することでお役に立てるのではないかと思い、当ブログを始めました。
サラリーマン人生の敗者が会社から社会にフィールドを移し、人生の第2ラウンドを闘う。これが私のけじめです。